「山へ逃げるべき」と「ここで大丈夫」両方の意見がまとまらず、時間が過ぎました。災害時の動きについて共通理解できていれば、もっと早く行動できたはずです。
「逃げるかどうか」が決まりませんでした。
山に逃げようという意見もありましたが、警報のサイレンが鳴り響く緊迫感の中、怯える子どもたちを安心させたい、山は崩れるかもしれないなどの配慮もあったのかもしれません。校庭が安全だという意見が主導権を握ったようです。
避難しようという方針が決まったのは市の広報車が避難を呼びかけて通過した15:25頃です。そこから「どこへ逃げるか」の検討になりました。
話し合いの結果、15:36頃に新北上大橋のたもと(三角地帯)に向かうことになりましたが、津波は橋からあふれ向かった方向から襲ってきました。
意思決定の遅れが、判断ミスにつながったのです。津波到達は15:37、一分間ではどうしようもありません。
早く行動を開始した学校の多くは「逃げるかどうか」「どこへ逃げるか」を当日話し合っていません。決まっていたからです。
大川小も「津波警報の時は〇〇へ避難」と決まっていて、それをみんなが知っていれば、迷うことはなかったでしょう。
結果的に「津波が来ないのに避難した」学校もたくさんあります。一方で、備えが不十分だった、当日話合いがまとまらなかった学校は大川小だけではありません。ただ「津波が来なかった」ので助かっただけです。ギリギリで助かった学校もあります。
「津波が来ないから大丈夫」は「安心」ではなく「油断」です。「津波が来ても大丈夫」な備えでなければなりません。
訓練・マニュアルには「本番」があります。