Q10 犠牲が大きかったのは大川小だけですか?

学校管理下で多くの子どもが犠牲になったのは大川小学校だけです。

東日本大震災では関連死を含めると2万人以上が死亡・行方不明となりました。大川地区でも多くの方が犠牲になりました。

宮城県では183名の小学生が犠牲(死亡・行方不明)になりましたが、学校施設管理下(学校の敷地内に教師が一緒にいる状態)で犠牲を出したのは大川小学校だけです。過去の災害においても例がありません。

多くの学校は、津波到達のだいぶ前、あるいは結果的に津波が到達しなくても、念のために避難しました。一方で、備えが不十分で避難しなかったが、津波が到達しなかったので助かったという学校も少なくありません。ちょっとしたことで結果は逆になっていたかもしれません。

「備えがずさんだった」だけで済ませるべきではありません。特別な場所で起きた特別な出来事ではないのです。なぜこのような状況になったのかを、わが事に置き換えて考えなければなりません。

私たちには地震も津波も止めることはできません。重要なのは、津波が到達するかどうかではなく、避難するかどうかです。

「逃げたけど津波は来なかったね」でいいのです。