6年経ったということは


春休みに入り、たくさんの中学生、高校生が来てくれています。
あの日、小学生だったみんなです。

3月が終わります。
3月は卒業、進級の時期。
6年経ったということは、あの年に小学校に入学した子どもは卒業です。
あの3月に小学校を卒業した学年の子ども達は、高校卒業ですね。
もともと3月は別れと旅立ちの月です。

そんな3月が終わります。
天気が穏やかだったからでしょうか。
6度目の3月11日は、例年にも増して、たくさんの方々が校庭に集いました。
3月11日を迎えてどうですか?
6年経ちますがどうですか?
という質問を何度となく受けましたが、
その度に曖昧な言葉で素っ気なく答えてしまいました。

考える暇がなかった。
何度も何度も同じことを聞かれてしまい、落ち着いて考える間もなく、3月11日は過ぎました。もしかしたら質問する人が期待していたかもしれない、気の利いた言葉は思いつきませんでした。

でも、時間をとって、じっくり考えても、同じだったでしょう。
「6度目の3.11の想い」なんてとても言葉では表せません。
多くの人が、この出来事をどう受け止め、向き合っていくか、まだまだ迷っているのだと思います。

ただ、いくら迷っても、思い通りにいかなくても、子どもたちがそばで聞いていてもいいような言葉で向き合っていけばいいのだと、6年間でそれだけは分かりました。
震災伝承についての検討会が行われていますが、旧大川小学校校舎は、誰かが管理しているわけではないのに、きれいに掃除され、ゴミも落ちていない場所になりました。今日も多くの方が足を運んでいます。
そう考えてみると、時間の流れとともに何かは動いているのだと思います。
まるで、導かれているみたいに。