大切な人や好きな風景を想いながら(2019年6月、冊子「小さな命の意味を考える」全面改訂)

大川小学校には、連日多くの人が訪れます。

「随分寂しい場所に学校があるんですね」現地で、そう聞かれたことがあります。石ころだらけの空き地に、ポツンと壊れた校舎、初めて来た人は「なんで何もないところに学校が」と思うでしょう。でも、ここは、かつて家が立ち並んでいた場所なのです。

子どもたちが走り回っていた校庭、一輪車で遊んで、

お花見をしながら給食を食べた中庭、

扇型の広い教室、学芸会では体育館は満員で…。

みんな大好きな大川小学校。私の娘も笑顔で通った。

倒れてスロープみたいになっているのは

ガラス張りの渡り廊下、

体育倉庫にはハードルや運動会の用具が

今もしまってあるのが見える。

絵が描いてあるのは野外ステージのフェンス、

その脇にあった

屋根付きの相撲の土俵や掲揚塔は跡形もない。

あの日は卒業式一週間前の普通の日でした。
多くの子どもが地域から突然いなくなった悲しみと衝撃は、どんな言葉でもうまく言い表せません。

しかも、学校管理下で起きたかつてない規模の事故でもあります。メディアも、限られた字数、時間枠で、前例のないこの状況をどう伝えたらいいか苦悩してきました。時としてセンセーショナルな部分が独り歩きして、意図が伝わらないことや、存在しないはずの「溝」が生まれることもあります。報道は小さな窓です。その向こうに広がる景色を想像できるよう、伝える方も受け取る方も努力しなければといつも思います。

私たちは、取材や案内の依頼は、できるだけ対応することにしています。多くの人が知るべきだし、覚えていてほしい…。反面、その記事や番組を誰にも見てほしくない、忘れてほしい気持ちもどこかにあります。でも、なかったことにはしたくありません。あの出来事に、あの命たちに意味づけをしたいと思っています。「悲しい」「かわいそう」「悲惨」だけではなく、願わくは、ほんの少しでも未来につながる意味づけを。

小さな命の意味を考える会は2013年11月に発足し、あの日起きたことについての検証・伝承・想いを多くの皆さんと共有したいと考え、活動を続けてきました。

時々「命って小さいのですか?」と質問を受けます。命は、地球がちょっと身震いしただけで簡単になくなる小さく弱いものだとあの日に思い知らされました。でも、その意味は大きく、重く、深いことも知りました。これほど大切なものはありません。

2015年3月、声をかけていただき、仙台で開催された第3回国連防災世界会議で大川小についてのパブリックフォーラムを企画したところ、想定の100名を大きく上回る約320名の方に参加いただきました。その際配布したメッセージ集が「小さな命の意味を考える」第1集です。以後少しずつ加筆しながら、約7万人の方にお配りしました。

この度全面的に改訂し、第2集ができました。より踏み込んだ考察、多くの方々の想いの詰まった内容となりました。大切な人や好きな風景を想いながらお読みいただけたらと思います。

ご協力いただいた皆様に深く感謝いたします。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

※冊子の内容はこちらからダウンロードできます。