まだそびえている高く厚い壁

2018年1月28日、大川伝承の会による第11回語り部ガイドが行われ、
数日前の積雪が残る校庭に、今回も100名以上の方が集まりました。

学校脇のシイタケ栽培の体験学習をしていた山は、雪が積もっていましたが、多くの方が登ってくれました。
やはり、自分の目と足で体験し、感じ、考える、ということです。
これまで、多くの方々がここを訪れましたが、この山を見て「無理だ、登れない」と言った人はいません。
険しい山を泥だらけになって登って避難した学校もあります。
県知事も現地で「登れる山です」と断言しています。(2012.3.11)

あの日の校庭には、救うための「時間・情報・手段」が揃っていたのは事実です。
でも、どんなに緩やかで登れる山があっても「登らなければ」命を救えません。
子どもを守りたくない先生はいません。救いたかった命であることも間違いありません。
だから、なぜ行動を起こさなかったのかが問われているのです。
学校が子どもの命を預かり、守り、輝かせる場所であるために、避けては通れない「問い」であるはずです。
ところが、2014年、つまり震災から3年以上経って、市教育委員会が出してきた写真はこちらです。
なんと7月11日の草ぼうぼうの写真です。3月に草はありません。
こちらもご覧下さい
これでは対話になりません。検証なんてできるはずがありません。
何を守ろうとしているのでしょうか。守るべきは「子どもの命」ではないのでしょうか。
6年数か月の事後対応のスタンスを象徴する写真です。
この件は以前にも述べましたが、何度でも強く訴えたいと思います。
多くの皆さんが当事者意識をもって向き合うべきです。
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午後からは地区の集会所で「座談会」を開きました。
昨年の5月からテーマを決めて説明と意見交換を行う「勉強会」を始めました。
テーマを決めず語り合う「座談会」も続けてきました。
これまで勉強会を3回開きました。座談会も今回で3回目です。
全国各地から、立場や世代の垣根を超え60名以上の方が参加しました。
裁判が進み、1月23日結審、4月に判決となりますが、
「行政側が和解を申し入れたのに残念だ」と、まるで原告がごねているみたいな報道があったようですが、
一体何を取材しているのでしょうか?
報道各社も、これまでの経緯を知らないはずはありません。なのに、どうしてこのような報道になるのでしょうか?
判決は一つの節目です。高く、分厚い、巨大な壁がまだそびえています。
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↓お読みください。
大川小の控訴審が結審、遺族が和解に応じず「伝えたかったこと」