水準とは何か?

宮城県の新任教員研修会。学校防災の試行錯誤は続いている
毎日新聞に大川小の判決を受けた学校の取り組みについての記事がありました。
その中に「判決が求める水準」という言葉があります。

子どもを預かり守るという学校の使命は震災の前も同じです。震災後に変わったわけではありません。大川小学校事故の判決は、学校現場が取り組むべきことをシンプルにしたはずです。

2033年までに99%の確率で津波・地震という想定を受けて、2004年から市教委が整備するよう各校に求めたものは「命を守るためのマニュアル」だったはずです。でも「提出するため」のものになっていたのです。
判決で、判断ミスをしてしまった先生はまったく問われていないことでも分かります。準備していなければパニックになるのは当然。責められません。先生方はきっと最後まで子ども落ち着かせ、励ましていたんだろうことは容易に想像できます。

あの日できたことは「津波を止めること」でも「パニックの中で正しい判断すること」でもありません。「予め決めた場所に逃げる」ことです。

あの数年間で、避難マニュアルを見直し、確認していた、そのおかげで助かった学校があります。大川小より内陸の学校も逃げています。決めていたからです。
一方で、備えが不十分でパニックになり、避難が遅れた学校もあります。津波が来ないので助かっただけで、大川小学校と何ら変わりません。
大川小学校で起きたことを詳しく調べました。いくら調べても特別なことは出てきません。どこでも起こりうることばかりです。
「予め決めた場所に逃げる」というごくシンプルなことが、大川小を含め多くの学校でできていませんでした。判決で問われたのはその部分です。

記事の中に「人材不足で改善や点検が困難」とあります。「評価される」という言葉も気になります。
学校現場は防災以外にも課題は山積しています。先生は朝から夜遅くまで駆けずり回って仕事をしています。
その中で本質的なことが見えなくなっているのかもしれません。「忙しくて子どもを守れない」では本末転倒です。

長時間の会議や研修、分厚い書類、通達、報告…、いざという時に子どもが見えなくなる、手を差し伸べられない、そして事故や問題が発生し会議が増える。
その延長上にあの日の校庭があったように思います。

防災には「完璧」はありません。こういう調査で「完璧」と答える方が不自然でしょう。
大事なのは「完璧かどうか」ではなく「本気かどうか」です。
こうした記事や調査結果が出たからといって、各学校で会議や文書を増やさないでほしいものです。私たちも「学校は何やってんだ」と安易に批判することは慎むべきです。

防災意識とは「死にたくない、死なせたくない」ということ。私は14年前にようやく気づきました。あれだけの思いをして、あれだけ泣いて気づきました。泣かなくても気づけるはずです。

シンプルに丁寧に命に向かう、それができていない状況であれば、校長先生、すぐに変えてください。
全国の先生が後悔しています。無念です。仕方なかったなんて誰も思っていません。
判決で明らかになったように大川小で起きたことは「人災」です。つまり人間がなんとかできるということ。
これは希望です。教師の誇りです。

2018.5.16「教師の誇り」