女川町には復興絵はがきというのがある。
二枚一組で、はがきになった絵は、女川一中(現女川中)生が描いたものだ。一枚は震災前の美しい海の絵。平成22年度の海の絵コンクールで入賞し、生徒会文集の表紙にも使われた作品だ。文集が配られた日が3月11日だった。
そして、もう一枚は別の生徒が震災後間もない頃に描いた絵で、がれきの山と化した町を子ども達が見ているという構図だ。
八割の建物が流され、人口の一割近い人々が犠牲になった町を見ている。
子ども達は後ろ姿なので、どんな表情をしているか分からない。泣いているのか、歯を食いしばっているのか。
子ども達は後ろ姿なので、どんな表情をしているか分からない。泣いているのか、歯を食いしばっているのか。
描くのがつらくて、途中でやめようと思ったそうだ、でも「描かなくては」と筆をとり続け、この絵ができた。題は「生きる」
現在、大学生になった作者は「あの子達は、苦しんでいた私自身をイラスト化したものでした」とこの前教えてくれた。
この絵を見たときの私もそうだ。巨大なガレキの山を前にすると、底なし沼のような悲しみ、無力感が襲ってきて、誰もが立ち尽くしていた。この絵の子ども達に自分を重ねた人はたくさんいるはずだ。
この絵を見たときの私もそうだ。巨大なガレキの山を前にすると、底なし沼のような悲しみ、無力感が襲ってきて、誰もが立ち尽くしていた。この絵の子ども達に自分を重ねた人はたくさんいるはずだ。
よく見ると、子ども達は手をつないでいて、ヘルメットをかぶり、スコップを背負っている。
私にとって、震災後の4年間は、この絵を抜きには語れない。生きることは大変なことだ、だけど、一人じゃない。
私にとって、震災後の4年間は、この絵を抜きには語れない。生きることは大変なことだ、だけど、一人じゃない。
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