学校はよく言えば安定しているが、逆になかなか変化できない。
20年ほど前から「開かれた学校づくり」が話題になってきたが、長年にわたって構築されてきた学校のシステムに、外部から地域や企業、NPOなどが融合するのは容易くない。ややもすると、システムを維持することに追われてしまう。イノベーションが起きにくい文化と言える。
カタリバが女川に来たのは23年5月、それから1ヶ月あまりの準備で向学館がスタートしたのだ。突貫工事だ。緊急手術と言った方がいいか。7月から、多くの小中学生が新しくできた「学校以外の居場所」に通うようになった。
23年度はシステム云々を言ってる場合ではなかった。カタリバがドアをノックしたとき、学校は「開く」しかなかったのだ。そのとき、女川の教育イノベーションが始まったのだ。めざすのは「例年通り」ではない。
災害時に限らず、昨今の教員はなんだか忙しい。目の前のノルマしか見えなくなる。私は教務主任だったので、一緒に校舎を使う第一小学校、第二中学校との調整等に奔走していて、まさに「それどころじゃない」状態だった。でも、向学館のことはちょくちょく耳にしていた。おもしろそうだと、関心があったこともあるが、向学館の広報活動のおかげだと思っている。
担当者は「ご注文ありませんか?」と勝手口に顔を出す町酒屋の御用聞きのごとく、しょっちゅう職員室に足を運んだ。向学館のお知らせや学校の日程確認、あるいは、「近くに来たので」…。どんな小さなことでもメモをとっていた。以前、新聞社にいたそうだ。
ガレキだらけの見知らぬ土地で、今までになかったことをやるのだから、当然かもしれない。でも、子どものために何ができるか、何をすべきかを、とにかく希求し続ける向学館のスタンスが「去年と同じ」がスタンダードの学校文化と大きく違って、すごく新鮮だった。
町中を駆け回る彼女はその象徴に思えた。