熊本に行って(7月)   2016.7.22

益城町は、震度7の地震が発生した日から3ヶ月が経とうとしていた。
 
想定外の災害の後は、想定外の日々が続く。
そして今、私は熊本に来ている。これも想定外だ。
 
木山中学校は校舎が使えないので、隣の小学校に間借りする形で授業を再開していた。5月からだから、もう2ヶ月も続いている。益城中央小学校はオープンスペースの多い校舎で、図書室前の多目的ホールを仕切って中学生の教室にしていた。
4時間目が終わって、白衣を着た当番の生徒が給食を運んできた。ん?給食じゃない、仕出しの弁当だ。食缶からスープをよそったり、ジャムを配ったりする給食の風景を予想していた私は、ちょっと戸惑った。
 
2ヶ月続いているこの状態を、非日常とはもう言わないのかもしれない。
5年前、二つの中学校と一つの小学校が同じ校舎に入っていた数ヶ月間を思い出す。
廊下では小学生と中学生が入り混じって歩いている。ふと、知っている子どもの顔に見えた。あの時もこんな感じだったな。
 
先に開催された中体連郡予選では、どの部も奮闘していたとカタリバのスタッフから教えてもらった。彼らは5月から放課後や昼休みの学習支援等をしているが、そうか、中体連郡予選の応援に行ったりもしてるんだ。生徒たちとの言葉を交わす様子がすごく自然だ。馴染んでいる。
 
3.11からの日々を無駄にしたくないと。最近強く思うようになった。
でも、無駄にしないってどういうことなんだろう。なかったことにしない、引きずることでもない。無駄にしないって、なんだ?
5月から3ヶ月連続になるが、熊本に来る度に考える。これは無駄にしないことの一つなのかもしれない。
 
今回は校内研修ということで、木山中の先生方全員に話をした。ジッとしていても汗ばむ狭い仮職員室に、ギューギュー詰めの状態で、でも真剣に耳を傾けていただいた。
東北での私たちの体験談がどれだけ参考になったかは分からない。たとえば、行事、教科指導、学級経営…、新学期早々計画を立て直す大変さは、学年末で、長い春休みがあった私たちとは違う。
 

「5年前のこと、そして、5年経った子ども達のこと。15歳だった生徒は成人し、小学低学年だった子は中学生になっている。いろんな子ども達の顔を思い浮かべながら話した。
振り返ってみて、実はうまくいかなかったことの方が多い。アクシデントもたくさんあった。だって前例がない。それは申し訳ないが、やり直すしかなかった。たいていのことはやり直せる。少なくとも反省の種になる。


今回、2日間滞在したが、1日目はカンカン照りで暑かった。2日目は終日強い雨が降っていた。もろくなった地盤の上に。
3.11の後の日々はまさにそうだった。5年4ヶ月過ぎた今もある意味そうだ。
「3.11は私たちの足かせにならなかった。生きる指針になった」という生徒の言葉を紹介した。「いつもの自分を失って、ほんとうの自分を知った」と書いた生徒。「夢だけは壊せなかった大震災」と詠んだ生徒。

私を支えてくれた言葉たち、いつも一緒にいる。熊本にも連れてきた。