青空バレーボール部Ⅱ 2015.11.19

バレー部の練習は、校庭の隅に作った手作りコートで連日行われた。

その日は男女一緒のレシーブ練習をしていたのだが、一人ボールを追いかけない女子生徒がいた。
ちょっと来い、とコートの外に呼び出した。
どうしてボールを追いかけないのかと訊くと、一呼吸おいて言った。
「ジャージが汚れるんです」
彼女の目がみるみる涙で溢れた。
「メンバーも揃わないし、体育館も使えないし、時間も限られて、面白くないんです」

段ボールで仕切られた避難所での生活、洗濯も、入浴もままならない、生徒たちは突然そういう中に放り込まれた。誰も好きでこんな環境にいるんじゃない。
そんな生徒に、泥だらけになってボールを追いかけろと言うの教師なのか?
訳が分からなくなった。教師ってなんだ?この生徒をどう導けばいい?

津波で亡くなったうちの娘は6年生。中学に入ったらバレー部に入る予定だった。
お兄ちゃんもお姉ちゃんも,大川中学校ではバレー部。お父さんはバレー部の顧問。自分も大川中に入ったらバレー部に入るんだと、張り切っていたのだ。
2月27日は日曜日ですごく天気が良かった。午後、家でのんびりしていたら「お父さんバレーボール教えて」と言ってきた。珍しく家族がみんな揃っていたので、長男と長女も誘って、バレーの練習をした。
途中からはこれまた元バレー部のお母さんも入って親子五人、珍プレー続出の、それはそれは楽しい、最初で最後のバレーの練習だった。

そんなことを思い出して、独り言で「俺の娘もバレー部に入るはずだったんだよな」と言ったら、涙が止まらなくなった。震災後、生徒の前で初めて泣いた。

結局、その生徒には何も言えなかった。
二人で数分間泣いただけ。間もなく部活の終了時刻がきた。
彼女は次の日から、何事もなかったようにはつらつとボールを追いかけるようになった。

バレーボールは青空が似合う。