ほんとうに恐ろしいもの

連休に入り、県内外から多くの方が学校を訪れています。
今朝(4月29日)の朝日新聞に大川小に関する記事があり、
あの日子どもたちが山への避難を訴えていたという証言が載っています。
震災直後から複数の児童が同様の証言をしていましたが、いつのまにか市教委の報告書から消え、検証委員会も曖昧にしてしまい、検証の材料にしませんでした。
 
子どもたちが山への避難を訴えていたのに避難しなかった。
当局が一番なかったことにしたい事実のようです。
確認3メモ廃棄  山さ逃げっぺ  確認8「言うな」のサイン

山に走った子は戻され、「山に逃げっぺ」と訴えても耳を貸さなかった。
「自分で危機を判断し行動できる子どもの育成」は大事なこと。
でも、
大川小の事故から導き出す教訓ではありません。

必要だったのは
子どもの命を最優先に、大人(教師)が判断するというシンプルなことです。
当たり前のようですが、それが出来なかったから事故になった。

子どもの命を優先にできなかったのはなぜか。
あの日の先生も、全国の先生もみんな後悔して、責任を感じています。
そこに結び付いた要因を考察すること。それが検証であり、教訓です。

一審判決ではあの日の校庭、昨年の高裁判決では事前の防災体制の問題点が、明確に述べられています。共通して浮かび上がるのは「子どもの命が見えなくなる構図」です。

これを学びに変えていくためには
「子どもでさえ危機感を持っていた」という事実は大前提です。
それを認めず、隠したり、捨てたりしては子どもたちに笑われます。

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2019年1月に示された大川小の震災遺構の基本計画には「学校防災」の文言が消え、「津波の恐ろしさ」ばかり強調されています。 

ほんとうに恐ろしいのは「津波」ではありません。
立場や前例、体裁、利権みたいなもののせいで、めんどくさいことから目を背け、蓋をして、大事なことが見えなくなってしまうことの方が恐ろしいように思います。

すべての人の中に潜むものです。
大川小はそれを伝える場所だと最近思っています。
2019.4.15 大川伝承の会 定期ガイド